川口選手と駒野選手が「2010FIFAワールドカップ南アフリカ」日本代表メンバーに選出
本日5月10日、「2010FIFAワールドカップ南アフリカ」に臨む日本代表メンバー(23名)に、ジュビロ磐田の川口能活選手(1/GK)と駒野友一選手(5/DF)が選ばれましたので、お知らせいたします。
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激励会の様子につきましてはこちらのページをご覧ください。
吉野博行社長 挨拶
みなさんこんにちは。みなさんのご存知の通り、来る6月のワールドカップ南アフリカ大会にジュビロ磐田から2名の選手が選出されました。大変嬉しく今思っております。本大会が、川口能活選手は4大会連続のメンバー入り、駒野友一選手も2大会連続のメンバー入りとなります。
日本代表の応援もさることながら、ぜひ、川口能活選手、駒野友一選手にもみなさまの絶大なるご声援をお願いしたいと思います。
クラブとしては非常に嬉しい限りでございます。
日本代表の応援もさることながら、ぜひ、川口能活選手、駒野友一選手にもみなさまの絶大なるご声援をお願いしたいと思います。
クラブとしては非常に嬉しい限りでございます。
川口能活(Yoshikatsu Kawaguchi)選手のプロフィール
- 生年月日
1975年8月15日
- 出身地
静岡県
- ポジション
GK
- 身長/体重
180cm/77kg
- サッカー歴
清水商高 → 横浜マリノス(横浜F・マリノス) ポーツマス(イングランド) →ノアシェラン(デンマーク) → ジュビロ磐田
- 出場記録
リーグカップ天皇杯AFC年度所属出場得点出場得点出場得点出場得点1995横浜MJ410‐‐20‐‐1996横浜MJ15013000‐‐1997横浜MJ2200020‐‐1998横浜MJ3400010‐‐1999横浜FMJ12806020‐‐2000横浜FMJ12805030‐‐2001横浜FMJ125070‐‐‐‐ポーツマス-2002ポーツマス-2003ノアシェラン-2004ノアシェラン-2005磐田J12901030102006磐田J13403010‐‐2007磐田J13203010‐‐2008磐田J13301000‐‐2009磐田J12604000‐‐
詳細につきましてはこちらのページをご覧ください。

川口能活選手のコメント
こんにちは。何から話せばいいかよくわかりませんが、正直驚いています。
やはり今シーズンまだ公式戦にも出ていませんし、大怪我をして、コンディションはだいぶ良くなっているのですが、2009年1月末のアジアカップ予選のバーレン戦で怪我をしてから、代表から遠ざかり、非常に悔しい思いをずっとしていました。ただ、メンバーには選ばれていませんでしたが、テレビ、新聞等で情報を入れて応援をしていました
し、いつか自分もまた代表のピッチに戻りたいと、メンバーとして戦いたいという思いをずっと持ち続けて、今年に入ってもそういった思いでずっとやってきました。ただ、怪我の回復が思ったより時間がかかり、非常に悔しい思いをして、今日のW杯のメンバー発表も正直無理だと思いかけた時期もありました。99.9%無理なのではないかと思っていましたが、ただ、仮にそうなっても日の丸を背負ってきた自分としては、同じ気持ちで戦いたいという思いをずっと持っていました。
今日の発表も直前まで寝ていました。女房が発表の直前に起こしてくれて、テレビを見た時にまさか自分の名前があるとは正直思わなかったので驚きました。ただ、やはり責任があると思います。多くのサッカー選手がワールドカップを目指して戦っている中で、自分はまだ公式戦に出ていない中で選ばれましたし、責任があると思いますが、その責任を全うして本大会にはベストな状態で臨めるように準備していきたいと思います。 本当にここまで支えてくれたファン、サポーターの方々、メディアの方々、ジュビロの関係者の方々、そして家族、全ての支えてくれた方々にお礼を申し上げたいと思いますし、その方々のために頑張りたいと思います。どうもありがとうございます。
やはり今シーズンまだ公式戦にも出ていませんし、大怪我をして、コンディションはだいぶ良くなっているのですが、2009年1月末のアジアカップ予選のバーレン戦で怪我をしてから、代表から遠ざかり、非常に悔しい思いをずっとしていました。ただ、メンバーには選ばれていませんでしたが、テレビ、新聞等で情報を入れて応援をしていました
し、いつか自分もまた代表のピッチに戻りたいと、メンバーとして戦いたいという思いをずっと持ち続けて、今年に入ってもそういった思いでずっとやってきました。ただ、怪我の回復が思ったより時間がかかり、非常に悔しい思いをして、今日のW杯のメンバー発表も正直無理だと思いかけた時期もありました。99.9%無理なのではないかと思っていましたが、ただ、仮にそうなっても日の丸を背負ってきた自分としては、同じ気持ちで戦いたいという思いをずっと持っていました。
今日の発表も直前まで寝ていました。女房が発表の直前に起こしてくれて、テレビを見た時にまさか自分の名前があるとは正直思わなかったので驚きました。ただ、やはり責任があると思います。多くのサッカー選手がワールドカップを目指して戦っている中で、自分はまだ公式戦に出ていない中で選ばれましたし、責任があると思いますが、その責任を全うして本大会にはベストな状態で臨めるように準備していきたいと思います。 本当にここまで支えてくれたファン、サポーターの方々、メディアの方々、ジュビロの関係者の方々、そして家族、全ての支えてくれた方々にお礼を申し上げたいと思いますし、その方々のために頑張りたいと思います。どうもありがとうございます。
駒野友一(Yuichi Komano)選手のプロフィール
- 生年月日
1981年7月25日
- 出身地
和歌山県海南市
- ポジション
DF
- 身長/体重
172cm/76kg
- サッカー歴
サンフレッチェ広島F.C.ユース → サンフレッチェ広島 → ジュビロ磐田
- 出場記録
リーグカップ天皇杯AFC年度所属出場得点出場得点出場得点出場得点2000広島J1003010‐‐2001広島J12413020‐‐2002広島J12712040‐‐2003広島J2230‐‐00‐‐2004広島J11813010‐‐2005広島J13424010‐‐2006広島J13121020‐‐2007広島J13423051‐‐2008磐田J13411100‐‐2009磐田J13411010‐‐
詳細につきましてはこちらのページをご覧ください。

駒野友一選手のコメント
発表はテレビで見ていましたけど、やはり名前が呼ばれるまでドキドキしましたし、呼ばれてほっとしました。
2大会連続のメンバー入りとなりましたが、4年前はオーストラリア戦1試合だけに出場することができましたが、その試合での悔しさ、グループリーグ敗退という悔しさがその時から頭の片隅にありまして、その悔しさを同じ舞台で晴らしたいという思いがずっとあり、今回メンバーに選ばれたことで、ピッチに立ってその悔しさを晴らすチャンスがあると思います。
ジュビロのスタッフや家族の支えがあったからこそ、ここまでサッカーができていると思いますし、メンバー入りできたと思うので、みなさんに感謝したいと思います。みなさんのためにもピッチに立って、恩返しができればと思っています。ありがとうございました。
2大会連続のメンバー入りとなりましたが、4年前はオーストラリア戦1試合だけに出場することができましたが、その試合での悔しさ、グループリーグ敗退という悔しさがその時から頭の片隅にありまして、その悔しさを同じ舞台で晴らしたいという思いがずっとあり、今回メンバーに選ばれたことで、ピッチに立ってその悔しさを晴らすチャンスがあると思います。
ジュビロのスタッフや家族の支えがあったからこそ、ここまでサッカーができていると思いますし、メンバー入りできたと思うので、みなさんに感謝したいと思います。みなさんのためにもピッチに立って、恩返しができればと思っています。ありがとうございました。
川口能活選手 質疑応答
――昨夜、岡田監督が川口能活選手に電話したとおっしゃっているのですが?
(少し驚いた様子で)あ、そうですか。岡田さんがそう話されたんですね。そうです、昨夜、家族で食事をしていた時に岡田さんから電話がありました。まさか電話が来ると思っていませんでした。選ばれたメンバーの中では最年長ですし、キャプテンシーを発揮してほしい、力を貸してほしいということを岡田さんにおっしゃっていただきました。状態についても質問されたので、もう試合できる状態だと答えました。ただ、やはり人生や家族の生活も関わってくることですのですぐには返答できませんでした。ここまで来るにはいろいろな思いがありましたし、何度も訪れるチャンスではありません。家族と相談して女房の後押しもあり、自分自身もまさか本当にそういうことがあると思っていませんでしたが、その気持ちに応えたいという思いが強くなり、岡田さんに返事をしました。
――昨夜の岡田監督からの電話から今日の発表までの間、ご自身としては自分が選出されるという可能性は感じていたのですか?
僕自身も本当に予想できない状況で怪我をしましたし、サッカーにおいても人生においても何が起こるかわかりませんし、やはり発表までは落ち着きませんでした。大怪我の後ですし、公式戦にも出ていない状況でしたので、いろいろな不安要素があり、いろいろ考えると少し混乱しそうでしたし、大丈夫かと思う自分もいました。ただ、監督の後押し、家族の後押し、いろいろな思いがあるので、自分が覚悟を決めて戦いに行きたいと思いが強くなりました。ただ、発表まではもちろん緊張はしていました。
――4大会連続のワールドカップとなりますが、どんな思いを持って南アフリカに行きたいですか?
まずは選出されることが選手達の目標だと思いますし、モチベーションになると思います。まずその関門を乗り越えることができました。今度は数多くのサッカー選手、さらにサッカーに関わっている方々の思いがあるので、責任感を感じてプレーしなくてはいけないと思っています。それからワールドカップに勝ちに行くという思いです。日本を代表して戦いに行くという強い気持ち、日本のサッカーを世界でアピールするために戦いに行くという強い気持ちを持って臨むことが非常に大事だと思います。
――細かい質問になりますが、昨夜、岡田監督から電話があった時の夕食のメニューを教えていただけますか?
外食していたのでホテルのビュッフェで食べていました。十五穀米の炊き込みご飯、野菜、魚、お肉でした。お肉は鉄板焼きの小さなハンバーグとステーキでした。フルーツを食べようとしている時に電話がありました。
――携帯電話には岡田監督と表示されたのですか?
携帯電話からではなく固定電話からの電話でした。おそらく日本サッカー協会からだったと思います。その時は日本サッカー協会からとは思わなかったです。東京から電話が掛かってくる用事もなかったので、何の電話かなと思いました。
―― 一度電話を切られてから、電話を掛け直したということでしょうか?
そうですね。
――どのような言葉を監督に伝えられたのでしょうか?
ぜひ行かせてくださいと。日本のために、そして監督のために精一杯戦いたいと思います、と話しました。
――岡田監督に電話を掛け直すまでの時間はだいたいどのくらいでしたか?
2時間か3時間ぐらいです。
――日本代表から離れている間、日本代表が苦しんだ時期もあったと思いますが、日本代表の試合をどのようにご覧になっていましたか?
みんな一生懸命にプレーしていて、誰も手を抜いているわけではなく必死にプレーしていましたし、クオリティーの高さを示していたと思います。ただ、チームには選手それぞれの役割があると思いますが、その役割の中で、何かもうワンピースが加われば、チームが良くなるのではないかなと思っていました。それが僕というわけではなくて、何か一つが加わればチームが良くなるのではないかなと思って見ていました。ただ、チームが良くなったり、悪くなったりと、チームの過程にはいろいろな波があると思いますが、やはり本番で勝つことが大事です。それまで過程ではいろいろなトライをして、いろいろな出来事が起こると思いますが、みんなが目標を失わなければ絶対にチームが良くなると見ていて感じていました。
――日韓大会であれば、中山雅史選手であったり、秋田豊選手(当時)であったり、今回の川口能活選手のような立場で選ばれたと思われるメンバーもいたと思います。当時、そういった選手を見てどのように感じていましたか?
経験のある選手、ベテランの選手がいるということでチームが締まると思いますし、その雰囲気を感じ取れると思います。その雰囲気を感じて取って、いろんな選手に話しかけてチームが同じ方向に向くことができるように、という役割は大事だと思います。ただ、もちろんサッカーを見に行くためだけに南アフリカに行くわけではありませんし、僕自身も戦いに行くことは事実です。今の時点では第3ゴールキーパーという立場で臨むことになりますが、自分自身も勝負しに行くしピッチに立つための努力をします。ただ、それだけではなくて、最年長ですし過去にいろいろな経験もしているのでチーム全体を見る必要もあると思います。そういったことを秋田さんや中山さんがしていたと思います。そのあたり難しさもあります。ムードを良くするためだけであれば、それは選手でなくてもいいと思います。やはり選手である以上、戦いに行くしプレーするために挑むわけですから。それと同時にチーム全体のことも見ることができればいいと思っています。いろいろと起こる出来事に対して、前向きに取り組むことができればいいと思っています。
(少し驚いた様子で)あ、そうですか。岡田さんがそう話されたんですね。そうです、昨夜、家族で食事をしていた時に岡田さんから電話がありました。まさか電話が来ると思っていませんでした。選ばれたメンバーの中では最年長ですし、キャプテンシーを発揮してほしい、力を貸してほしいということを岡田さんにおっしゃっていただきました。状態についても質問されたので、もう試合できる状態だと答えました。ただ、やはり人生や家族の生活も関わってくることですのですぐには返答できませんでした。ここまで来るにはいろいろな思いがありましたし、何度も訪れるチャンスではありません。家族と相談して女房の後押しもあり、自分自身もまさか本当にそういうことがあると思っていませんでしたが、その気持ちに応えたいという思いが強くなり、岡田さんに返事をしました。
――昨夜の岡田監督からの電話から今日の発表までの間、ご自身としては自分が選出されるという可能性は感じていたのですか?
僕自身も本当に予想できない状況で怪我をしましたし、サッカーにおいても人生においても何が起こるかわかりませんし、やはり発表までは落ち着きませんでした。大怪我の後ですし、公式戦にも出ていない状況でしたので、いろいろな不安要素があり、いろいろ考えると少し混乱しそうでしたし、大丈夫かと思う自分もいました。ただ、監督の後押し、家族の後押し、いろいろな思いがあるので、自分が覚悟を決めて戦いに行きたいと思いが強くなりました。ただ、発表まではもちろん緊張はしていました。
――4大会連続のワールドカップとなりますが、どんな思いを持って南アフリカに行きたいですか?
まずは選出されることが選手達の目標だと思いますし、モチベーションになると思います。まずその関門を乗り越えることができました。今度は数多くのサッカー選手、さらにサッカーに関わっている方々の思いがあるので、責任感を感じてプレーしなくてはいけないと思っています。それからワールドカップに勝ちに行くという思いです。日本を代表して戦いに行くという強い気持ち、日本のサッカーを世界でアピールするために戦いに行くという強い気持ちを持って臨むことが非常に大事だと思います。
――細かい質問になりますが、昨夜、岡田監督から電話があった時の夕食のメニューを教えていただけますか?
外食していたのでホテルのビュッフェで食べていました。十五穀米の炊き込みご飯、野菜、魚、お肉でした。お肉は鉄板焼きの小さなハンバーグとステーキでした。フルーツを食べようとしている時に電話がありました。
――携帯電話には岡田監督と表示されたのですか?
携帯電話からではなく固定電話からの電話でした。おそらく日本サッカー協会からだったと思います。その時は日本サッカー協会からとは思わなかったです。東京から電話が掛かってくる用事もなかったので、何の電話かなと思いました。
―― 一度電話を切られてから、電話を掛け直したということでしょうか?
そうですね。
――どのような言葉を監督に伝えられたのでしょうか?
ぜひ行かせてくださいと。日本のために、そして監督のために精一杯戦いたいと思います、と話しました。
――岡田監督に電話を掛け直すまでの時間はだいたいどのくらいでしたか?
2時間か3時間ぐらいです。
――日本代表から離れている間、日本代表が苦しんだ時期もあったと思いますが、日本代表の試合をどのようにご覧になっていましたか?
みんな一生懸命にプレーしていて、誰も手を抜いているわけではなく必死にプレーしていましたし、クオリティーの高さを示していたと思います。ただ、チームには選手それぞれの役割があると思いますが、その役割の中で、何かもうワンピースが加われば、チームが良くなるのではないかなと思っていました。それが僕というわけではなくて、何か一つが加わればチームが良くなるのではないかなと思って見ていました。ただ、チームが良くなったり、悪くなったりと、チームの過程にはいろいろな波があると思いますが、やはり本番で勝つことが大事です。それまで過程ではいろいろなトライをして、いろいろな出来事が起こると思いますが、みんなが目標を失わなければ絶対にチームが良くなると見ていて感じていました。
――日韓大会であれば、中山雅史選手であったり、秋田豊選手(当時)であったり、今回の川口能活選手のような立場で選ばれたと思われるメンバーもいたと思います。当時、そういった選手を見てどのように感じていましたか?
経験のある選手、ベテランの選手がいるということでチームが締まると思いますし、その雰囲気を感じ取れると思います。その雰囲気を感じて取って、いろんな選手に話しかけてチームが同じ方向に向くことができるように、という役割は大事だと思います。ただ、もちろんサッカーを見に行くためだけに南アフリカに行くわけではありませんし、僕自身も戦いに行くことは事実です。今の時点では第3ゴールキーパーという立場で臨むことになりますが、自分自身も勝負しに行くしピッチに立つための努力をします。ただ、それだけではなくて、最年長ですし過去にいろいろな経験もしているのでチーム全体を見る必要もあると思います。そういったことを秋田さんや中山さんがしていたと思います。そのあたり難しさもあります。ムードを良くするためだけであれば、それは選手でなくてもいいと思います。やはり選手である以上、戦いに行くしプレーするために挑むわけですから。それと同時にチーム全体のことも見ることができればいいと思っています。いろいろと起こる出来事に対して、前向きに取り組むことができればいいと思っています。